踏まれても踏まれても何度も咲くよ。

貧乏性かつ臆病者のあたしは、平和に過ごせていればいるで、そのことそのものに対して不安に感じてしまうことが多い。

今は平穏でも必ず痛い目に遭う日がくるはずとか、平穏なんて嘘臭いとか思ってしまって、次の「痛い目」は、いつ訪れるんだろうと不安になるんだ。

防衛本能が自然と働くんだろうな。
痛いだろうと思いながら触って痛かったら「ほらやっぱり。予想通りだ。」と、さほどガッカリしないけれど、痛くないと思って触って痛かったとき、「え!?痛くないと思ってたのに(>_<)」みたいで裏切られたような気になるじゃん(笑)。
だから出来る限りの最悪を想定しておくようにする。
敢えて取り越し苦労しておくんだ(苦笑)。

当たり前だがそうしていると、幸せなこととか平和なときを、あまり心の底から楽しめない。
感謝はもちろんするけれど、いつもそこには切なさとか不安とかがつきまとってくる。
「この平穏さもいずれは終わる。」みたいなさ。

・・・これ書いてて、あたしってなんとも心の貧しい情けない人間だよなぁと思って悲しくなった(苦笑)。

でも、不安に感じないようにするなんてことは、してはいけない。
だってそれは「上手くやろうとしてしまう事」でしょう?
ただでさえ防衛本能を働かせてしまうあたしが何か物事を上手くやろうとすると、無理したり、作り笑いしたり、自分らしさを忘れたりするようになってしまう。
・・・上手くやろうとすると、ロクな事がないんだよね(笑)。

不安で当たり前なんだもの。
その不安は持ち歩いていくしかない。
そして、「何が起きても大丈夫だ」なんて事は言えなくてもいいから、その代わりに「イカレても落ち込んでも、またあたしは復活できるんだよ。」って思えるような自信を少しずつつけていけば良いんだと思う。

弱さやバカさを繰り返しながら、打たれ強くなりたいんだよなぁ(>_<)


・・・なんて事を書いていたら、今日さっそく痛い目に遭いました。
最近は比較的平穏で「平和で不安」なんて言ってたから罰が当たったんだろな(苦笑)。

痛い目に遭う日は、いつかくるだろうと予想はしていたはずなのに、今とても痛いし、とても落ち込んでるのは何でだろねぇ、えへへ。

でもきっと大丈夫だ。
あたしならまた復活できるさ。
復活してみせるさ。

臆病者にだって、強くなりたいと望む権利はあるだろう?