気持ち < ツール になってませんか?

私は待つのが苦手。何でもすぐに白黒ハッキリさせたがるタイプ。でも、気持ちとか心の問題とかって、そうそうスッパリいかない事が多い。そういう時に味方になってくれるのが、時間。気持ちの整理をさせてくれたり、許してくれたり、忘れさせてくれたり。ゆったりと猶予を与えてくれる。そんな時間を味方につけねばならないのにも関わらず、携帯とかメールとか、ある意味時間をも操作出来てしまうようなツールに飲み込まれてしまっている私がいたりして。そしてそんな自分にゲンナリ中ξジリジリしているのがイヤなんだな。信じ抜けなくなってるの。目に見えない心や気持ちの繋がりよりも目に見えるメールを信じてしまったり・・・。メールにすると、あっけないもんだ。思っている気持ちの100分の1も伝えられない。陳腐になっちゃうの、重みも、あたたかみもない。ツールに埋もれて自分の気持ちを陳腐にしてしまっては、それまであたためていた自分の気持ちが可哀想。最近、そんなことを感じました。(前の日記に書いていたことはこの事なのです。)メールとかネットとかSNSとかが無かった時代の人の「信じ抜く強さ」みたいなものが欲しいです。メールの有無で一喜一憂してる自分は本当にチンケな野郎だと思います。そういう自分と、少しずつサヨナラしたいな。ちゃんとツールをツールとして使いこなしたい。言葉よりも、未来を信じたいですな。